宿題をやってこない生徒をどうするか
2004年5月10日 future今日はタクからリクエストのあった
「宿題をやってこない生徒をどうするか」
について考えてみた。
とりあえず徹底して宿題はやらせる。
どっちでもいいなんてことはあってはならない。
よく生徒の自主性に任せるなんて誇らしげに言う先生がいるが、それは無責任を自分で認めているんじゃないだろうか?
言い訳としか言いようがない。
そもそも自主性に任せて成長する人間なんていない。
いるとしたら天才といわれるホントにわずかな人だろう。
とにかくどんな事でもそうだがやりきることが大事だ。
でも、やれと言っているだけでやらない。
やはり担任がやり遂げるまで目をかけなければ駄目だ。
教室の目立つ所に表を貼る。
宿題をやってきた生徒には、目立つように○をつける。
人は誰でも褒められれば嬉しいものだ。
最初からできた子は、褒められることによって宿題をやることが当たり前に思えるようになる。
言わなくてもちゃんとやってくるようになる。
×は付けない。
人によっては人間的にも否定されたように感じてしまうからだ。
やってこなかった生徒には、付きっきりで最後までやらせる。
やったらしっかり褒めてやる。
手伝ったにしろその子は最後までやったのだ。
やり切ること、そしてそれを継続することが大事なんだと思う。
どんなことでも理由を話したいと日記で言ったが、それは時と場合によっては必要ないってことに気付いた。
宿題は理由云々よりもやらなきゃいけないことなんだ。
人は誰しも自分がいる「場所」でやらなきゃいけないことがある。
会社であれば仕事がそうだし、学校であれば宿題はやらなきゃいけない。
だけど、ただやるだけでは意味がない。
物事を最後までやり遂げることによって、その大切さ、達成感の素晴らしさ、そういった積み重ねが様々な場面での自信につながるということを学んで欲しい。
先生は宿題などやってくるのが当たり前だと考えている人がほとんどだろう。
しかし、その当たり前のことができないのがいまの子供なのだ。
家庭でのしつけが放棄され学校に押し付けている以上、それは学校が、教師が教えなければならないことだろう。
そういう考えになったけど、どうかな?
まだ説得力に欠けるから考える必要はあるなぁ。
土曜日の日記にも書いたんだけど、酔ってやってことが原因でいま最悪なことになっている。
しかも、自分では覚えてない・・・
ふらふらになって寮に戻ってきて、先輩に絡みまくって、水ぶっかけられたり、脱がされたりしたことまでは覚えているんだ。
どうやらそのときに先輩から
「お前ゲイだろ」
って言われて、俺は
「当たり前ですよ、○○○○ゲイですから」
とか返してしまったらしい・・・
(俺のフルネーム知っている人なら分かると思うが・・・)
次の日から、何にも覚えていない俺は毎日先輩たちに会うたびに(しかもその場にいなかった人にまで伝わってた!)
「おい、ゲイ」
とか言われるし、笑いながらシカトまでされる始末・・・
まあ冗談って分かってるし、先輩たちにいつもすごいかわいがってもらってるからいいんだけど。
けど、こういうの差別だよね。
ごめんなさい。
今日一日で小出義雄の「君ならできる」という本を読んだ。
指導者のあり方、人間的に強くなるための人としてのあり方、挨拶の大切さ、俺がよく言っている本心をちゃんと口に出して伝えることの大切さ、などが書かれている。
高橋尚子のことを書くことに重点が置かれているためにその辺のことは深く書かれていないのが残念だったが仕方ない。
けれど随所にいい事が書いてある。
教育論、人間論、指導論のことが広く書かれているのは良かった。
そういったことを断片的に知るには、ちょうどいい本だと思う。
かなり読みやすいから、中学生でも一日で読んでしまうだろう。
興味のある方はどうぞ!!!
「宿題をやってこない生徒をどうするか」
について考えてみた。
とりあえず徹底して宿題はやらせる。
どっちでもいいなんてことはあってはならない。
よく生徒の自主性に任せるなんて誇らしげに言う先生がいるが、それは無責任を自分で認めているんじゃないだろうか?
言い訳としか言いようがない。
そもそも自主性に任せて成長する人間なんていない。
いるとしたら天才といわれるホントにわずかな人だろう。
とにかくどんな事でもそうだがやりきることが大事だ。
でも、やれと言っているだけでやらない。
やはり担任がやり遂げるまで目をかけなければ駄目だ。
教室の目立つ所に表を貼る。
宿題をやってきた生徒には、目立つように○をつける。
人は誰でも褒められれば嬉しいものだ。
最初からできた子は、褒められることによって宿題をやることが当たり前に思えるようになる。
言わなくてもちゃんとやってくるようになる。
×は付けない。
人によっては人間的にも否定されたように感じてしまうからだ。
やってこなかった生徒には、付きっきりで最後までやらせる。
やったらしっかり褒めてやる。
手伝ったにしろその子は最後までやったのだ。
やり切ること、そしてそれを継続することが大事なんだと思う。
どんなことでも理由を話したいと日記で言ったが、それは時と場合によっては必要ないってことに気付いた。
宿題は理由云々よりもやらなきゃいけないことなんだ。
人は誰しも自分がいる「場所」でやらなきゃいけないことがある。
会社であれば仕事がそうだし、学校であれば宿題はやらなきゃいけない。
だけど、ただやるだけでは意味がない。
物事を最後までやり遂げることによって、その大切さ、達成感の素晴らしさ、そういった積み重ねが様々な場面での自信につながるということを学んで欲しい。
先生は宿題などやってくるのが当たり前だと考えている人がほとんどだろう。
しかし、その当たり前のことができないのがいまの子供なのだ。
家庭でのしつけが放棄され学校に押し付けている以上、それは学校が、教師が教えなければならないことだろう。
そういう考えになったけど、どうかな?
まだ説得力に欠けるから考える必要はあるなぁ。
土曜日の日記にも書いたんだけど、酔ってやってことが原因でいま最悪なことになっている。
しかも、自分では覚えてない・・・
ふらふらになって寮に戻ってきて、先輩に絡みまくって、水ぶっかけられたり、脱がされたりしたことまでは覚えているんだ。
どうやらそのときに先輩から
「お前ゲイだろ」
って言われて、俺は
「当たり前ですよ、○○○○ゲイですから」
とか返してしまったらしい・・・
(俺のフルネーム知っている人なら分かると思うが・・・)
次の日から、何にも覚えていない俺は毎日先輩たちに会うたびに(しかもその場にいなかった人にまで伝わってた!)
「おい、ゲイ」
とか言われるし、笑いながらシカトまでされる始末・・・
まあ冗談って分かってるし、先輩たちにいつもすごいかわいがってもらってるからいいんだけど。
けど、こういうの差別だよね。
ごめんなさい。
今日一日で小出義雄の「君ならできる」という本を読んだ。
指導者のあり方、人間的に強くなるための人としてのあり方、挨拶の大切さ、俺がよく言っている本心をちゃんと口に出して伝えることの大切さ、などが書かれている。
高橋尚子のことを書くことに重点が置かれているためにその辺のことは深く書かれていないのが残念だったが仕方ない。
けれど随所にいい事が書いてある。
教育論、人間論、指導論のことが広く書かれているのは良かった。
そういったことを断片的に知るには、ちょうどいい本だと思う。
かなり読みやすいから、中学生でも一日で読んでしまうだろう。
興味のある方はどうぞ!!!
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