幸せってなに?

2004年6月7日 mental
人にとって「幸せ」とは何だろう?
お金があること?
名誉があること?
音楽を聴いているとき?
眠っているとき?
どれも幸せなことなんだろう。
いまの俺は幸せか?そうは思わない。
じゃあ不幸か?
そうも思わない。
その真ん中で宙ぶらりでいる。
いまこうしていろんな人の支えあって生きていることこそ幸せなんだろう。
親にはとても感謝している。
でも、そんなこと毎日は思えない。
何でもないようなことが幸せなんだという人がいる。
何でもないようなこと…例えば今日の状態。
けれど、それは不幸なときにこそ思いつく合理的な考えじゃないだろうか。
何でもないようなことが幸せなら、今の俺はかなり幸せなはずじゃないか。
でも現実は違う。
夕日を見ただけでは幸せを見いだせないという人がいる。
俺はそんなことはない。
良いことも悪いこともなく、人と会話することもなく、何も感じることなく、何も思わず一日が終わっていこうとしている日も、ふと見た夕日が綺麗だったりすると「見れてよかったな」と、ほんの少し幸せを感じる。
でも、それは俺の理想とは違う。
おおかたの人がそうであるように、自分が思っているとおりに物事が動いたときが「普段求めている幸せ」なんじゃないかな。
そうか、いま俺が考えているのは「普段求めている幸せ」なのかなぁ。
しかし、そんなに都合よくはいかない。
たまたま思いが叶う人もいれば、何も叶わず死んでいく人もいるだろう。
全ては偶然なのだ。
つまり「普段求めている幸せ」とは偶然の産物なんだと思う。
偶然は偶然であるから、どうすることもできない。
でも、偶然に出会えるかどうかは運だ。
運は努力で多少は近付けることができる気がする。
そのために人は努力する。
人は時間という河に流されている。
河に流されながら努力をした人が途中で運良く拾う物が、偶然、つまり「普段求めている幸せ」なんじゃないだろうか。
週に一日か二日、河にそのまま身を任せ、ただただ流れてしまう日がある。
そんな日はもの凄く後悔する。
「一日無駄にした」と…
無駄にしないようにするにはどうしたらいいのだろう。
果たして一日も無駄にすることなく生きていくことはできるのか。
俺にとって今日のような日を無駄と言っているだけで、ホントは無駄じゃないんじゃないのか。
考え出したらキリがない。
でも考えてしまう。
自分は少しでも幸せだと思いたいために…

今日、二回目の『世界の中心で、愛をさけぶ』を読んだ。
二回目でようやく理解できた。

幸い俺は大切な人を失ったことはないし、何よりもいま俺は生きている。
自分は幸せだと確信できた。
十分すぎると思った。
毎日は考えていられないだろうけど、しっかりと覚えておこうと思った。
「普段求めている幸せ」は一時のことにしか過ぎない。
それよりも、いつまでも消えない、色あせない幸せを求めよう。
死ぬときにはアキのように最高に幸せだったと思えるように生きて行きたい。
そして朔太郎のように誰かをそこまで思ってみたいと思った。

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kei

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