黄色いぼうし

2004年12月7日 mental
昨日寝る前に、『ちびまる子ちゃん』の5巻を読んだ。
で、泣いた。しくしく、泣いた。
別に特別哀しいとかそんなんじゃないんだけれど、すごく切なかった。

『ちびまる子ちゃん』はすごく好きだ。
ただ単に「おもしろい」というのももちろんだけど、表現の仕方が特に気に入っている。

たとえば、まるちゃんがまだ小学校に入りたての頃の話。
まるちゃんはお母さんに挨拶し、「きょうは日曜日だからうれしいねえ」と言う。
ごはんを食べるだけでも「おいしーうれしー」。
そして、外に出掛けたときには「あーいい天気いい天気、こういう日は生きているだけでしあわせだねえ」とまるちゃん。

もし、これが漫画でなく現実であったら、思っていても声に出さないかもしれない。
でも、声に出すかもしれない。
あるいは、こんなこと思わないかもしれない。

僕はまるちゃんと一緒で、日曜日の朝は「うれしい」し、おいしいご飯を食べているときも、外に出掛けて天気がいいときも、やっぱり「うれしい」って感じる。

ただ、もう僕は大人になってしまった。
まるちゃんのように小学校1年生のときに「みえていたものたち」は見えなくなってしまった。
もちろん、大人になったことによって見えるようになったものもあると思う。
でも、「みたくないもの」もたくさん増えた。
幼い頃にも見ていたんだけど、いま大人になってしまったことによって見たくないと思うようになったものも出てきた。

大人になったことは・・・少し嫌だ。
幼い頃に比べて「うれしい、たのしい」って素直に思えなくなったように思うから。
21歳という年齢になって、「感謝」とか「友情」だとか、そういうことの意味に気付きだしたのはよかった。
でも、「感情の根幹」というのかな、「うれしい、たのしい」とかっていうのは、何かを経験していくうちにわかるっていうものじゃなくて、人が生まれたときから備え持っている気持ちじゃない?そういったものが衰えてきている気がする。
機嫌がいいときは些細なことにでも、喜べる。
でも、そうじゃないときは些細なことにすら気付けない。

そういうのが嫌だ。
気付こうとはしてる・・・のかな、でも理屈とかそんなんじゃなくて気付けない。

「こころ」が動かなくなった。

だからってどうしようもないことで、大人と子供どっちがいいかなんて良く分らないけど、たまには戻ってみたいなって思った。

夕日が沈むまで、外でボールを追い掛け回したあのときに。

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kei

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